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送迎車の事故(スロープ)

前回の車椅子の固定のブログでもお伝えしましたように、車椅子移動車の保安基準が非常にずさんであることをお伝えしたと思います。あまりに形式主義的で、実態にそぐわない基準は、現実の自動車移動における車いす乗員の安全を軽視しているとしか言えないでしょう。

今回は送迎車の事故をテーマにしたブログの最終回になりますが、乗車用のスロープについてご紹介したいと思います。

車いす利用者が自動車に乗車する際、自力で移乗可能であるならば、一旦車いすから降りて、自動車の座席に座れます。しかし、そうはいかない方の場合、やはり車いすごと自動車に乗車してもらうことになります。

乗車の方法としては、リフトタイプとスロープタイプの二種類です。デーサービスや医療機関などでは、リフトタイプを使うことが多いかもしれません。また、デーサービスでも小規模な事業所などでは、スロープタイプを使用することが多いでしょう。リフトタイプは一般的にワゴン車などの比較的大型の車両に使われ、スロープタイプは乗用車や軽自動車で利用されます。

スロープは取り外しが便利で簡易に使用できますが、車高が高い自動車等に取り付けると、スロープの斜度が大きすぎて、車いす乗員を乗せることができなくなりますので、スロープを設けるには、自動車側の改造が必要になります。スロープ使用時に車高が下がるなどの特殊改造を行わないと、安全な乗車は不可能です。

スロープの保安基準を見てみましょう。

「自動車の用途等の区分について(依命通達)」の細部取扱いについてから抜粋

2 車いす利用者が容易に乗降できるスロープ又はリフトゲート等の装置を有すること。

ここにはスロープの構造や、強度、斜度についての規定は書かれていません。

このようなざっくりしすぎた基準は、もしかしたら、あまり基準を設けると、障害当事者の利便性を低下させる、という配慮だったかもしれません。

しかし残念なことに、このざっくりした基準の影響で、障害者とは無関係な人たちが、脱法的に8ナンバー取得をして、恩恵を受けている事例が、実はたくさんあります。

写真をお見せできないことが残念ですが、急斜面(40度~60度)過ぎて車いすの人を乗せることは事実上不可能です。ちなみにトヨタ自動車純正のスロープ車のスロープ斜面は9.5度です。また、このような車両は後部ドア開口部の高さが非常に低く、少なくとも大人の車いす乗員が中に入ることは不可能です。

スロープの問題は、車椅子移動車の事故とは直接関係がないと思います。なぜならこのようなスロープは当事者は使えないからです。他方で道路運送車両のずさんさを表す事例ではないかと思います。

このような道路運送車両法の保安基準のずさんさが、車いす乗員を危険にさらすだけでなく、障害者とは無関係の人の車椅子移動車登録を許し、本来障害者が受けるべき、消費税減免や自動車税の減免を得る行為を、皆さんはどうお考えになられるでしょうか。

私たちは、車椅子移動車の事故による、車いす乗員の重傷化問題について、

車椅子の固定や、シートベルトの件も含めて、いまこそ、形式主義的規制を乗り越え、実効性ある保安基準・告示等の改正が必要だと考えています。

2025年10月06日

支援とは何か?書籍出版のご案内

 

当会の代表の佐藤は、この度「支援とは何か・善意から生まれるパターナリズム」を出版いたしました。
この書籍は全3部で構成され、本作はその第1部です。
以下に紹介分と、本編一部をご紹介させて頂きます。
本書はアマゾンキンドルでご購入いただけます。
〇紹介文
支援は善意だけで完結しない。
本書『支援とは何か』第1部は、冒頭の問い――「あなたのその笑顔は誰のためか」――を手がかりに、
医療・介護・福祉の現場から家族・学校・職場まで、
私たちの関係にしみ込むパターナリズムをていねいに解きほぐします。
善意が他者の声をかき消す瞬間、支援と治療が重なり合う局面、文化や慣習(日本的パターナリズム)の作用。
実例とシンプルな図解で、現場の違和感を言葉にし、「結果だけでなく、その結果とともに生きる物語」へと視点を移す一冊です。
読者対象:医療・看護・リハ、介護・福祉、教育、心理、ソーシャルワーク、地域支援に携わる方、家族のケアに向き合う人。
※本書は一般的な知見の提供を目的としており、個別の医療判断の代替ではありません。三部作の第1部として、続巻では感情と関係の設計(第2部)、社会・制度の再考(第3部)へと進みます。
〇本編抜粋
前書き
国連の障害者権利委員会による日本への総括所見の公表から三年が経ちました。
まずは、この所見の作成に尽力された、日本国内外の障害者団体や人権団体、個人の方々に深い感謝と敬意を表したいと思っています。
一方で、この所見に対して、自己正当化に奔走しているように見える日本政府には、残念な思いを抱かざるを得ません。
実は私自身、この総括所見がまとめられるまでの長い議論の過程をまったく知りませんでした。その存在を知ったのは、発表後の報道を通じてです。
「自分のアンテナが錆びついていた」――その事実を突きつけられた瞬間でもありました。
公表直後には、日本の障害者団体を中心に幅広い反応があり、国会質疑でも取り上げられました。
特に、障害当事者であり国会議員でもある人たちが、大きな役割を果たしたと感じます。
2024年には、障害者差別解消法の改正による合理的配慮の義務化など、一定の前進も見られましたが、
総括所見の公表から三年が経った今、果たして具体的な行動はどこまで進んだのか。私は必ずしも十分とは言えないと感じています。
この総括所見には多くの指摘や改善要求が並びますが、その根底に共通する課題があります。
それが「パターナリズム」という言葉です。
本書では特に、日本独自の歴史や文化の影響を色濃く受けた形として「日本的パターナリズム」と呼びます。
パターナリズムは、日本語で「父権主義」や「温情主義」と訳されます。
聞き慣れない言葉であること自体、この国の無自覚性を象徴しているのではないかと感じますが、
この無自覚性こそがパターナリズムを強力に支える土台となり、解決を困難にしています。
パターナリズムは、人間の本能や感情の一種であると同時に、国や地域の歴史・文化・宗教観の影響を受け、その意味や強度が変化します。
日本的パターナリズムは、有史以来の文化的背景のもとで根強く生き続け、医療・介護・障害者福祉の土台となり、
日本人そのものに対する心の基盤として深く根を張っています。
本書の基本的スタンスは、日本人が持つパターナリズムへの無自覚性から脱し、自覚的な人間へと変わること。
ここを目的にしています。今まで何千年もの歳月をかけて積み重なってきた日本的パターナリズムは、そう簡単に消え去るものではありません。
無自覚性を克服することこそが、日本的パターナリズムを乗り越えるための出発点であり、医療・介護・福祉分野における課題克服の第一歩になると私は考えます。
本書では、パターナリズム、特に日本的パターナリズムの正体を明らかにし、それが医療・介護・福祉の「支援」にどのような影響を与えているのかを探ります。
そして、それを乗り越えることは可能なのか、可能であればどのような方法があるのかを、私自身の経験も交えて読者の皆さんと共に考えていきたいと思います。
そして本書は全3部作の内の第1部となり、第2部では「障害者はかわいそう」と言う感情から、
日本的パターナリズの実例を紹介し、第3部では全体のまとめとして、支援とは何かについて考え、
支援と名の付く役割を担うすべての方へ向けて、お話ししたいと考えています。
本書は、2025年夏に行われた、ボランティア組織「インクルージョンジャパン」が主催した設立記念セミナー「障害者はかわいそうを乗り越える」の講演録をベースに、加筆・訂正を加えたものです。
注意事項
*本文中の図は、セミナーで使用したパワーポイント資料をもとにしています。この図は巻末に一括して掲載していますのでご参照ください。
*特に注記がない限り、資料中の写真はすべて生成AIによるものであり、特定の人物・団体・事例を示すものではありません。
*文字起こしや編集・加筆・修正の過程で、生成AIを執筆支援として活用しています

著者略歴
1963年7月、東京都大田区生まれ。現在、東京都青梅市在住。
若者の夢を応援するマネージメント会社を立ち上げた後、2000年頃より障害のある人々との関りが始まり現在に至る。
インクルージョンジャパン代表。社会活動家。作家。
この書籍をこれまで共に生きてきた福祉作業所の利用者のみなさんに捧げます。ここに記されたすべてのことは、彼らから学んだのです。
(1)導入 あなたのその笑顔は誰のための笑顔ですか(→図1参照)。
まずは資料最初の二枚の写真をご覧下さい。一枚目は福祉作業所やデイサービスなど、利用者の人達が毎日通ってきて、夕方になると帰っていくような場所をイメージしたAI生成画像です。このような風景を私たちは日々経験しますが、その時私たちは何を感じているか。是非思い出してみて頂きたいのです。例えば私ならこう思います。日中色々なことが施設の中で起きます。利用者同士のトラブルが起こり、言い争いが起きることもある。また泣き出してしまうような人もいれば、一日中何も言わずにうつむいている人がいたりします。そしてその輪の中で笑っている人もいる。私が働いていたB型福祉作業所はこういう場所でした。そのような混沌とした1日が終わって、それでも、利用者の人たちは写真のように笑顔で帰っていく。私たちはそれを扉から見送りつつ「また明日ね」と言って笑顔で手を振る。利用者もそれに呼応して振り返りながら手を振って帰っていく。福祉作業所やデイサービスの現場で働く方であれば、誰もが経験する一場面です。この時私は何を感じているのか。思い起こしてみると多分以下のような感情ですし、皆さんも同じではないかと思います。
「ああ今日もやって良かった。この仕事に就いて良かった。明日も頑張ろう」。
この気持ちは実際にこのような現場で働いた人にしか味わえない、一種のご褒美、ギフトのように感じるのではないでしょうか。
二枚目の写真は、病院でよく見る光景です。辛い治療や入院生活を乗り越えた患者が、笑顔で退院していく。病院の玄関で別れを惜しむこの瞬間、私は思う。皆さんもきっと思うでしょう。
「ああ 本当に良かった。私は報われた。私のやったことは正しかった。明日も頑張ろう」。
この場面も先ほどと同じで、現場という内側にいる人にしか見えない喜びの風景であり、一種の達成感とも言えると思います。
実はこの二枚の写真は、この本の主要テーマである、[支援とは何か?] を考えるための、皆さんへの問いかけなのです。私が皆さんにこの本を通じて問いかけたいと思っていることはこういうことです。
「あなたのその笑顔は誰のための笑顔ですか?」
です。そして、皆さんが今感じていらっしゃることを記憶して頂いて、本書第3部の最後にもう1度この写真をお見せいたしますので、最初に感じたことと、最後に感じたことを比較して欲しいと期待しています。もちろん変わったかどうかはみなさん次第ですし、答えがあるわけでもありません。なぜなら、私たちのような支援する側の人間は、常に答えのない問題と向き合いつつ、何らかの回答をし続けることが仕事でありながら、実は回答が正解かどうかは私たちにはわからない。矛盾を感じながらの進んでゆくのが支援の営みだと思います。私たち支援者は先生ではありませんし、先生でも答えられないような難問を投げかけてくる相手に応答し続ける。これこそが支援する者が相手と向き合う時の基本姿勢です。
さて、「その笑顔は誰のための笑顔ですか」この問いかけだけだと意味がよくわからない。一体何のことを言っているのだろうと思うかもしれませんので、少し補足したいと思います。つまり私が問いたいのは、私たちの笑顔は[結果]に対するものなのか?それとも[過程・プロセス]に対する笑顔なのか、という問いです。先ほど私が言ったような、「ああ、やって良かった。喜んでくれて良かった。支援して良かった。私のやり方は正しかった。私が役に立った、という感想や実感が何を表しているかと言うと、一種の自己満足です。達成感と言ってもいいかもしれませんし、自己評価と言ってもいいわけですが、これは皆さんが支援者として、患者や利用者に寄り添ってきた[結果]への一種の自己評価と言えます。「私のやり方が正しかったからこそ結果(患者や利用者の笑顔)が良かったのだ」。このような結果が全てという考え方のことを帰結主義と呼びます。終わりがどう終わるかが全てであって、プロセスは二の次だという考え方です。つまり二つの写真の場面で私たちが無意識に感じることは、結果に対する自分への喜びだと言えるでしょう。しかし結果に対する自分の喜びは、所詮主観でしかありません。患者の笑顔が患者の満足を表しているのではないかと考えることは出来ますが、何に対して笑顔なのかは謎のままです。
これが最初に見て頂いた、私も皆さんも感じる別れの場面での実感、喜びの正体です。では、その笑顔が結果に対するものであるならば。プロセスに対する笑顔とは何なのか。なぜこのようなこと面倒くさいことを、考えなければならないかというと、支援とは[結果ではなくプロセス]の中に現れるものだからです....

 

 

 

 

2025年10月06日

送迎車の事故(車いすの固定)

 

「面倒だから」はありえない。

近年、車椅子移動車の交通事故において、車いす乗員が他の乗員よりも重症化することが社会問題になっています。

例えばJAF公表データでは、報道された事故だけでも2019年から2023年4年間で8件あります。

日時 事故概要
2019年4月 福岡県でトラックと衝突し、利用者2名が死亡。
2019年9月 福岡県で電柱に衝突し、利用者2名が死亡
2020年6月 佐賀県で水路に転落し、利用者3人が死亡、1人が重傷
2021年11月 大分県でトラックに衝突し、利用者1人が死亡
2022年3月 新潟県で軽自動車と衝突し、利用者1人が死亡
2022年8月 大阪府で集合住宅のブロック塀に衝突し、利用者1人が死亡、運転手が重傷
2022年11月 岡山県でガードレールに衝突し、利用者1人が死亡
2023年1月 京都府で2人乗りバイクに衝突し、バイクの少年が死亡、もう一人は重体

デイサービスの送迎中に関する死亡事故ニュース(出典/JAF) https://jaf-training.jp/column/careworker-transfer/

確かに私自身もテレビやネット報道で、介護施設の送迎車が事故を起こしたという記事を見かけることがあります。

消費者庁は2025年7月に、車椅子移動車の事故において、他の同乗者よりも車いす乗員のほうがより重傷になることを問題視し、その原因などの調査を行うと発表しました。

消費者庁は、主に以下の2点を重傷化の要因と仮定しています。

  • ・シートベルト
  • ・車椅子と自動車の固縛

シートベルトについては前回のブログで話してきましたので、今回は車いすの固縛について考えてみたいと思います。

①車いすごと自動車に乗車すること自体の危険性と防ぐための安全運転

まず大前提として、車いすごと自動車に乗ること自体が普通に座席に座るよりも危険である、という認識は持っていてよいと思います。皆さんは自家用車の座席を外して持ったことがあるでしょうか?また、座席を分解して中身を見たことがある方はいらっしゃるでしょうか?自動車用の座席は、おうちのソファー等とは全く異なる構造をしています。非常に重く(多分一般的な女性では持ち上げられない)非常に複雑な構造をしています。素人が見てもなぜこういう構造なのか分からないほど最先端の衝突安全性が追及された部品なのです。それはなぜか?事故時の乗員の傷害を出来るだけ少なるよう、衝突時の衝撃吸収など、ソファーには不要な要素が詰まっているからです。それでも事故が起きれば乗員はケガをしたりしますが、実はその怪我の大きさは、純正の座席の構造の恩恵を受けています。

ですから個人的には、自力で純正座席に座れるのであれば、時間がかかっても座席へ移乗してもらうべきだと考えています。

他方で車椅子はどうでしょうか?純正の座席のような構造は持っていません、はっきりいってただの椅子です。これでは事故が起きた時、他の乗員よりも重傷化することはさけられないのです。車椅子は基本的にパイプフレーム構造で、ほぼすべてが脇腹付近にパイプがあります。ちょっとした衝撃でも、身体とパイプが衝突して、ろっ骨や内臓をを損傷する。このようなことはお年寄りや障碍者だけでなく、健康な人であっても起きます。

では、このような避けられない事故や車いす乗員の重症化を出来るだけ防ぐ方法はないのか?そこを消費者庁は考えていると思います。

しかし、もっと根本的な解決方法もあるのではないでしょうか。それは、ドライバーが事故を起こさないことに他なりません。

介護や障害者福祉の現場で送迎ドライバーとして働いていらっしゃる方々が、どれほど安全運転に気遣っているか?残念ながら私はその点を懸念するのです。

また安全運転を心がけたくても、時間に追われたり、早く送迎するように施設から要求されれば、安全運転をしたくてもできない。こんな状況が日本の介護福祉の現場で起きているに違いない。私はそう感じています。

私ごとになってしまいますが、私はもう40年以上自動車を運転し、そのほとんどが運転をベースにした仕事についてきました。タクシー乗務員を9年間した経験もありますが、未だかつて事故を起こしたことは一度もありません。それはなぜか?答えは簡単です。

「絶対に事故は起こさない」

という決意と実践を、毎日ハンドルを握る前に自分に言い聞かせているからです。運転がうまいわけでもなく、運動神経が発達しているわけでもありません。この決意実践。私はここで、全国で送迎業務を行っているドライバーの皆さんに問いかけたいと思います。

「あなたもそうしていますか?」

さあ、あなたはこの問いにどう応えるでしょうか?

何も考えもせず、ドアを開けてキーをひねり、エンジンをかけて出発する。こんなことでは安全運転を実践することは不可能です。

送迎ドライバーは、今説明した通り、根本的に弱い立場の人を乗せる仕事なのだ。という認識を持ってほしいと切に願っています。

②道路運送車両法上の車椅子固定とは?

道路運送車両とは、簡単に言えば車検制度のことです。道路運送車両法には自動車の安全基準が定めれrていて、その基準を満たした自動車だけが車検を通ります。

車椅子に乗った乗員を運ぶことができる自動車を法律では「車椅子移動車」と呼びます。これは、いわゆる特殊用途に分類される車検制度上のカテゴリーです。例えば救急車や消防車、建設機械、キャンピングカーなどと同じに分類されます。従って車椅子移動車は原則8ナンバーになります。

8ナンバーの登録を行うにあたっては、車検時に色々な検査が行われます。自動車メーカーが販売する自動車であれば複雑ではありませんが、中古車を買って、車椅子移動車へ改造したときなどは、色々と面倒な検査を受けなければなりません。その中でも車椅子の固定方法は一番重要な点になります。以下に道路運送車両の規定をご紹介します。、

  • 車いす移動車の構造要件「自動車の用途等の区分について(依命通達)」の細部取扱いについて
    1 車室には、車いすを確実に車体に固定することができる装置を有すること。
    2 車いす利用者が容易に乗降できるスロープ又はリフトゲート等の装置を有すること。
    3 車いすを固定する場所は、車いす利用者の安全な乗車を確保できるよう、必要な空間を有する
    こと。
    4 車いすに車いす利用者が着座した状態で、容易に乗降できる適当な寸法を有する乗降口を1ヶ
    所以上設けられていること。
    5 4の乗降口から1の車いす固定装置に至るための適当な寸法を有する通路を有すること。
    6 車いす利用者の安全を確保するため、車いす利用者が装着することができる座席ベルト等の安
    全装備を有すること。
    7 物品積載設備を有していないこと。

 

あれっと思う方がいるかもしれません。実は基準と言っても、特別に数値が設定されているわけではありません。

この問題こそが、車椅子移動車の固縛を曖昧にしている基になっている。これは私の見解です。

実は車椅子子固縛の方法、取り付け基準は実に曖昧で、例えば車椅子を固定するためのロープやベルトを車体のどこと結べばいいのか?どんな方法で結べばいいか?の基準は存在しません。例えばこんな事例があります。

 

この写真は、車体側の固定ロープの固定箇所ですが、車体構造部と全くつながっていない市販のD型リングアンカーを、床に敷いたベニヤ板に取り付けてあるだけです。これでは、事故時に車椅子を固定し続けることは不可能です。しかしこれが許される制度が今も生き続けています。

自動車メーカー製の車椅子移動車の車体側のベルト固定場所は、必ず車体底部などに穴をあけて、直接車体と接合させていますから安心ですが、DIYや一部の改造業者は、この抜け穴を使って改造する事例があります。

あえて簡単な固縛を選ぶ罪深さ

今まで、車検制度上の車椅子移動車の基準のあいまいさについて話してきました。しかし介護や福祉の現場では、自動車メーカーが売っている福祉車両を使うことが多いと思います。従ってこのような危険な固縛方法は使わない。しかし、どうやら一部の施設では、自動車に備わった固縛方法を使わず、上記の写真のようなものを取り付けて、利用者の車いすを固定している事例があることを私たちは把握しています。そしてその理由の最たるものが、「正規の固縛方法だと面倒で乗り降りに時間がかかる」というものです。あるアンケートでも、送迎担当者が固縛に時間がかかりすぎる。面倒。と答えた方がかなりの割合でいました。

これは本当に無責任です。

しかし、あえて簡単な方法を見つけて送迎の現場で行うのは、ドライバーの意思というよりも、施設が容認しているからだ。とも言えるでしょう。送迎の時間が伸びれば人件費も増える。よくある話です。

車椅子の固縛は、車いす乗員が、事故発生時に車内で移動することがないためであり、さらに言えば車外放出という最悪の事態を避けるためにあります。

車椅子の固縛が面倒で嫌だ。もしそうお考えになられるのでしたら、その仕事はやめて別の仕事に従事したほうが、利用者の益になるでしょう。

 

次回はスロープについて、また脱法的な車椅子移動車登録についてお話ししたいと思います。

 

理事長

 

 

 

2025年09月17日

医療事業者向けの改正障害者差別解消法ガイドライン

 

ご存じですか?改正障害者差別解消法

2024年に施行された改正障害者差別解消法によって、合理的配慮が義務化されました。
厚労省は、この改正を契機に、医療機関向けの「ガイドライン」を改訂し、最新版を公表しています。
医療機関やその従事者は、誰よりも障害のある人たちと接する可能性や頻度が高い人たちですから、
ガイドラインなど読まなくても、差別などしていない。私は障害のある人に寄り添っているという自負をお持ちかもしれません。
しかし、その考えこそが、医療従事者が陥る最大の落とし穴なのです。

なぜそうなるのか?その理由は主に3つに集約できるでしょう。

①医療とはそもそも個人を評価しその高低差を計る。

現代の医療は、人間を様々な視点から測定(検査)し、標準値に対して高いのか低いのか?を評価することが、治療の開始点です。つまり現代医療には、避けきれない差別が存在します。人間を数値化し評価することがどんな差別につながるのでしょうか?それは、高い人は素晴らしく、低い人は素晴らしくない、という思想を増強させます。そして医療とは、素晴らしくない人を素晴らしい人へと変化させることが主な任務でもあります。また、誰が障害者か?誰が障害者ではないのか?を、決定する事実上の決定者でもあります。

②日本人だから

人権や自由、平等などの現代世界における最重要な価値は、そのすべてが明治以降日本に輸入されてきた概念であり、西欧思想(キリスト教的思想)そのものです。それに対して日本人の歴史、文化、宗教観は、根本的に西欧思想と異なります。人権思想の基盤である「個人」は、日本においては「集団対個人」という図式の中で「個人よりも集団を優先する」思想によって、私たちは無意識に個人の尊厳の優先順位を下げてしまいます。例えば「空気を読む」はまさに個人よりも集団を優先する思想そのものでしょう。このように私たちの心や無意識の世界に染み付いているのです。このことを自覚的に受け止めなければ、人権や差別にコミットすることはできません。

③病院における上下関係

医療機関で働く人たちは、医師、看護師、その他のメディカルスタッフ、事務スタッフなど、学歴と収入の高低差による強力なヒエラルキーが支配します。それ自体の善悪を問う前に、そのような場所で働くことで、スタッフ一人一人の心に、固定化される能力主義や上下関係で「他者を見てしまう」癖がついてしまうのです。そしてその癖は、仕事中にのみならず、日常の生活、つまり人生における他者との関係を侵食するのです。

このガイドラインには、医療機関でのお仕事の様々な場面で、今のやり方を変えるべきことが列挙されています。
是非読んで欲しいと思います。
なお、この件については 運転支援者研修 の中でも詳しく解説しています。
理事長 佐藤

 

 

 

 

2025年09月07日

送迎車の事故(シートベルト編)

 

「障害者だから仕方ない」は許さない。

デイサービスなどの介護施設における送迎サービス中の自動車事故が社会問題となっていることをご存じでしょうか?特に送迎時に車いすのまま乗車する患者や利用者が、事故に遭った時に他の乗員よりも重傷化することは知られており、もう十年以上前から問題となっていました。しかし、話題にはなっても実態について把握することがなかなかできなかったり、解決策を見つけるだけの自動車に対する専門性を有する関係者がいなかった。また行政機関も中々動かなかった。このような事情があって、事実上放置されていた。黙認されていたというのが実情です。特に送迎車は法律上自家用車の扱いになっており、事故件数はいわゆる自動車事故件数の中に埋もれてしまっています。他方でバスやトラック、タクシーなどの事業用自動車、いわゆる緑色のナンバープレートが付いた自動車は、一般の事故とは別に事故統計を作っています。つまり送迎とは、事業者が他人を運ぶ行為でありながら、事業用自動車とは区別され、かといって一般の自家用車とは言えない、という中途半端な立場におかれています。このことが根本的に送迎時の自動車事故を見えにくくする要因の一つだったのですが、2025年7月、消費者庁がこのような事故の増加を受けて、事故の原因究明のための調査委員会を立ち上げました。私たちは調査開始の決定を行った消費者庁に敬意を表し、合わせてその調査の推移を見守りたいと考えています。

車いす利用者が何故重症化するのか?それには大きく2つの要素が関係していると言われています。一つはシートベルト。2つ目が車椅子の固定。つまり自動車と車椅子をどうやって固定するか?です。そして私たちは特に車椅子の固定「固縛」に着目しています。

①シートベルトについては、そもそも道路交通法71条で

「疾病のため座席ベルトを装着することが療養上適当でない者が自動車を運転するとき、緊急自動車の運転者が当該緊急自動車を運転するとき、その他政令で定めるやむを得ない理由があるときは、この限りでない。」

と定められており、さらに政令では

「負傷若しくは障害のため又は妊娠中であることにより座席ベルトを装着させることが療養上又は健康保持上適当でない者を自動車の運転者席以外の乗車装置に乗車させるとき。」

と記載がある通り、車いす利用者は必ずしもシートベルトを着用しなければならないわけではありません。シートベルトとは、本来、事故時の車外放出や、前方窓ガラスへの衝突を回避するための装置であり、走行中に揺れる身体を支えるものではないのです。従って、車いす利用者が車いすごと乗車する場合は、無理をしてまでシートベルトをする必要はありません。

しかし、シートベルトをしなくて大丈夫か?と心配に感じる方も多いでしょう。そこで重要なのは運転手です。シートベルトを着用していない乗員を乗せている、という自覚。そのことで生まれるより慎重な運転。つまり安全運転を意識することが重要です。

しかし残念なことに、各種の送迎ドライバーは、必ずしもことさら安全運転に気を遣っているとは限らないのが現状です。私の経験からも実感として感じますが、まるで自分一人で乗って、いつもの買い物に行くような感覚で運転するドライバーがいます。

また、早く仕事を終わらせたい。次の送迎に間に合わせたい、などの気持ちから急いでしまう。さらに、ドライバーだけではなく、施設の運営側が、出来れば急いで仕事を終わらせてほしいと、考えてしまいがちなのです。。

例えば当会では、デイサービスの送迎ドライバーの募集に応募して、「自分は制限速度を超えて走ることは絶対しません」と面接で宣言した場合の、施設側の反応を複数調査しましたが、多くが「それでは困る」という返事と共に、不採用の判断を下しています。時間内に終えたい。早く終わらせたいという感覚は、自分の都合、施設の都合のほうが、患者の安全や快適よりも優先してしまう。本末転倒な状況にあります。もう一つ付け加えれば、これは本当に最悪な施設ですが、ドライバー同士が「誰が最初に帰ってくるか競争している」こんな施設さえ存在するのです。

これではいつまで経っても事故は減らないでしょう。

当会が主張したいことをまとめると以下のようなものになります。

①シートベルトよりも、ドライバーの安全運転を考えるべき。

②事故は避けられない、という施設側の認識を改めるべきだ。

③ドライバーの選定をよく考える。

④安全運転とは何なのか?考えるドライバー教育。

施設を運営する皆さん、今所属する送迎ドライバーにきいてみましょう。

「あなたは安全運転していますか?」

そして「はい」という返事が返ってきたら、

「では、安全運転とは何ですか?」

 

安全運転とは、過去の実績ではありません。これから先についての運転を考えることなのです。

次のブログでは、車椅子の固定(固縛)について考えます。

 

理事長

 

 

 

2025年08月24日

福祉作業所にジュニアシート導入を

写真AC提供

知的障害や発達障害の方が働く福祉作業所。2023年度時点で全国に15,000施設があるといわれ、さらに増加中のようです。A型、B型共に、障害のある人たちのより豊かな人生を作ってゆく大切な施設です。そして近年、福祉作業所が利用者の送迎を行う事例が増えているそうです。ご家族としては自宅まで送り迎えしてくれる送迎は便利でしょう。必ずしも利用者が一人で通勤出来るとも限りません。

当会にも、B型福祉作業所での勤務経験のあるスタッフが複数名います。そして全員が送迎の経験を持っています。施設所有の自動車、多くがワンボックスタイプの自動車ですが、3~5人程度の利用者宅を巡回しながら迎えに行き、夕方になれば送ってゆく業務についています。

この送迎時において危惧する点があるかとスタッフたちに問いかけると、異口同音、「ジュニアシートの未装着」という回答が返ってきます。

特に知的障害がある利用者は、身体が小さいという特徴を持っているといわれています。もちろん全員がそうではありませんが、比較的低身長であることが多いです。

この低身長の方が自動車に乗った時、シートベルトをどうするか?これは施設やドライバーの責任として考えなければなりません。

例えば身長150cm未満の方が大人用のシートベルト装着すると事故時にどうなるか?

これは下の動画を見て頂ければお分かりかと思いますが、シートベルトが首を絞めて、頸部に重度な障害を与えることになります。

 

ジュニアシートというと、つい子供向けと考えがちですが、低身長の障害がある方は、ジュニアシートの装着が命を守る最後の砦になります。

そして、利用者の命を守ることが福祉作業所の最重要な責任であるならば、ジュニアシートを準備しておくことは、何よりも大切なことですし、親御さんが福祉作業所を選ぶとき、その施設がどのくらい自分の子供を大切にしてくれるのかの、バロメーターとして、ジュニアシート装着の有無を確認することは大切な要素になるでしょう。

統計がないので私の肌感覚ですが、福祉作業所の送迎時の自動車事故は、かなりの頻度で起きていると感じています。なぜなら、送迎とは事故の頻度が高い時間帯に行われるからです。そして、利用者がけがをしない限り親には報告しないし、利用者が親に報告することもできない。このような利用者の尊厳や生命を軽視する福祉作業所が存在することは間違いないのです。

あなたのご家族が通われている福祉作業所の送迎車を、一度よく観察してみましょう。

至る所にへこみや傷があるのではないでしょうか?

それはまさしく事故の痕跡です。

2025年08月01日

障害者週間です

 

今年の障害者週間がやってきます。

日本では毎年、12月3日から9日までが実施期間となっています。

また、世界的には12月3日は国際障害者デーに制定されています。(国連)

カトリック教会でも今年の12月は障害者のための祈り、という期間に入ります。

12月と言えばクリスマス一辺倒になる世の中ですが、

障害のある人たちについて思いを寄せる季節でもあるのですね。

カトリック教会の教皇フランシスコが、今年の12月の祈りについて以下のように述べています。

完全にバリアフリーの小教区を作ることは、物理的なバリアを取り除くことを意味するだけではありません。それはまた、「彼ら」について話すのをやめて、「わたしたち」について話し始める必要があると理解することでもあります。

彼らではなく、わたしたちとして、障害のある人たちを捉えること。

壁を取り除く唯一の方法です。

以下の動画で話されていますのでご興味のある方はどうぞ。

 

障害のある人たちについて考えることは、つまり自分について考えることなのです。

 

 

2023年11月29日

ジャパンタクシーはなぜ役立たずなのか。

wikipediaより

ジャパンタクシーの経緯

東京オリパラの開催に合わせて、ユニバーサルなタクシーを日本中に走らせるために、2017年にジャパンタクシーは生まれました。

特に通常の乗車スペース(後部座席)に車いすのまま乗車可能な構造は、日本の車いす利用者にとって希望の光となったはずです。

私もある販社から依頼を受けて、発売前の内覧会に招かれて、タクシー事業者の前で講演した経験があります。

その時の講演で私は、ジャパンタクシーという道具だけを走らせても、宝の持ち腐れになるだけで、ドライバーの意識改革が欠かせないと主張しました。

ジャパンタクシーは発売後、特に電動車いすの乗客に対応できないという欠点が当事者から指摘され、政治的なテーマにもなる事態となりましたが、現在では乗車用スロープの耐荷重設計を見直して、重量のある電動車いすでも乗車可能な車両に改定されています。(全ての電動車いすが乗車できるわけはありません。乗員の体重が加味されます)

タクシーは乗るのにお金がかかります。それも必ずしも安くはない。だから貧困に苦しんでいる人はそもそも対象外の移動手段です。そのことは大きな問題を含んでいますが、そうであっても、車いすのままタクシーに乗れることは、多くの障害者に恩恵をもたらすだろうと、私は考えていたのです。

実際に当会が行う医療従事者向け研修会でも、ジャパンタクシーを紹介しており、自家用車を手放した障害者や高齢者の移動の利便性を高める道具として、患者に進めるように言っているのです。

発売から5年ほど経って、車いすユーザーに恩恵があったのかと問われると、首をかしげてしまう、というのが私の実感です。

データがないので私の空想でしかありませんが、ジャパンタクシーに車いすごと乗る乗客はほとんどいないのではないかと思うのです。

確かに、乗り降りに異常な手間と時間がかかる。運転手の配慮が足りない。乗降する場所に制限がある。などなど、数えきれない不満が思いつきます。

しかし、トヨタ自動車というエリートが集まる会社の研究職が、なぜそんなことにも気づかないまま開発したのか?不思議でなりません。

そして、それらが事実ならば、その理由は何だろう?と私は考えてきたのです。

理由はいろいろあると思います。

挙げればきりがないのですが、最近、ある出来事にあって、なるほどなあ。と納得したのです。前置きが長いですが、今日はその出来事についてご紹介します。

wikipediaより

目的なき事業計画

先日、ある企業の新規事業に関する企画書を拝見する機会がありました。輸送システムに関する事業を展開する企業が行う、病気や障害のある人を対象にした事業です。

そして、事業を始めるにあたっての意見を求められ、企画書が送られてきました。

それを拝見して、まずに気付いたのが、その企画書には事業の目的が書かれていなかったのです。

事業とはおおよそ、何かの目的を達成するために行われます。その目的が書いていないのです。

私は一般企業の事業企画書を見る機会は初めてでしたが、中央省庁等が作る企画書は良く手にします。そして、その企画書の冒頭には大抵事業の目的が書かれています。

そこで問い合わせてみると、「企業価値を高める」のが目的だと返事が返ってきたのです。

私はそれを聞いて驚きました。病気や障害のある人を対象にした事業の目的とは、当然のことながらそれら当事者への便益であるはずだと、私は考えていましたが、そうではなく自分の会社の価値を高めるのが目的であることに驚いたのでした。「そもそも当事者のことは二の次なのか?」

結局私は、この企画書に対する意見を述べるのを断念しました。言っても無駄だろうと思ってしまったのです。

手段が目的へと逆転する

この経験から私が感じることは2つあります。

一つ目は「道具が高度化すると不可避的に目的と手段が入れ替わる」というイリュールやイリイチの言葉を思い出します。会社という、何らかの公益を追及する道具の、内部構造の複雑さが増し、仕事の進め方が高度化する時、イリイチの予言の通りのことが起こるのだと。

もう一つは、このような会社はきっとここだけではないだろう、日本中の会社、いや日本そのものがそうに違いないと確信したのです。

あらゆるビジネスや、法律や制度は、現在、改定すればするほど、益よりも不利益が増大していると感じる方は少なくなのではないでしょうか?法律や制度も、特定の目的を達成するために人間が設計した道具なのです。

それは規模の大小に関わらず、高度化した企業や社会が必ず陥る罠だとイリイチは指摘しています。

そう考えた時、どうしてジャパンタクシーは役立たずなのかを考えるヒントが見えてきます。

私はジャパンタクシーの開発と販売についての企画書を見ていませんが、

もしかするとその文書の中には「当事者の利益」について明確に書かれていなかったのではないか?二の次になっていたのではないか?と想像してしまいます。

ユニバーサルというわが国では新しい価値を、タクシー車両の販売を通じ、オリンピックという場を通じて世界に発信し、自分の会社、及び国家の価値を高める。

もしそうであれば、つまり、当事者のためではなく、自分の欲を満たすために作った車だといえます。これでは当事者の益になるはずがありません。そもそもそのような目的で作られた車ではないのですから。

わたしは、このブログで特定の企業を攻撃する意図は持っていません。私が言いたいことは、このような目的と手段が入れ替わる、ということは、どんな道具にも起きるし、現に起きているという現実を自覚することの大切さと、困難さについてです。

病院も、患者の疾患を治療するという目的を持った一つの社会的な道具です。それが複雑化、高度化した時、上記と同様の目的と手段の転換が不可避的に起こる。

研修会の中でも触れていますが、運転評価もいつの間にか目的と手段が入れ替わるという事が起きました。

評価の目的は「運転免許が更新の可否」です。しかし、現在シミュレータや実車評価によって、実際に患者が安全に運転が出来るかどうかが、評価の目的に変ってしまっています。

その理由は明確で、評価の手法を改良する試みが高度化することによって、目的と手段が入れ替わった。シミュレータや実車評価は、本来は診断書作成のための手段の一つでしたが、今はそれが目的となり、免許更新の可否を検討するのではなく、実際に安全な運転が出来るかどうかを評価する、というシステムになってしまいました。そして、このような転換は、やはり患者にとっては不利益でしかないのです。

道具=システムの中で働く人たちはその道具を俯瞰して見ることが苦手なものです。

それは地球が青い色をしていることを人間が知るためには、地球の外へ出るほかなかったのと同じでしょう。

なぜ俯瞰することが苦手なのか?

それは、人間とは高度な道具の内部では歯車化してしまうから。

イリイチは、目的と手段が転換すると、当初想定した便益を遥かに超える不利益が、当事者に及ぼされると警告しています。

私たち現代人は、システムという道具から逃れることが出来ません。

だからこそ、俯瞰する思考が重要だと思うのです。

 

 

2023年11月24日

タクシーVsライドシェア タクシー事業者が今やるべきこと

病気や障害のある人にとって、自動車による移動はとても重要です。運転を控えるよう医師から助言を受けたり、免許を返納、又は取り消しになってしまった人たちは決して少なくないからです。

これらの人たちにとって自動車が自宅まで迎えに来てくれるタクシーはとても便利です。しかし、病気や障害のある人たちや身体に不自由のあるお年寄りが、実際にタクシーを活用しているかと言えば、必ずしもそうとは言えないのが現状だと思います。

どうして、便利なタクシーがあるのに利用しないのか?詳細な調査データがあるのか私は知りませんが、知り合いや会員の話しを聞くと、いくつかの課題が見えてきます。

私が聞いた範囲での理由は、主に①お金について。そしてもう一つが②安心して乗れない。③時間を無駄に使う、という3点に集約できます。

①お金の面

端的に料金です。自家用車を保有するより日常の移動であればタクシーの方が割安であるというデータはいくらでも見つかりますが、それを理解するのは中々難しいでしょう。しかし、タクシーが割高というのは明らかに誤解に基づいていますので、これを解消する取り組みを、お年寄りにも分かりやすい方法で示すのは大切なことです。

②安心して乗れない

タクシーの運転手はこれまでの経験から、何よりも迅速に送迎する事を心に止めて仕事をします。これは顧客がそのようなニーズを持っていて、それを満たす必要があるという動機+速く送り届けることで次の顧客を探す時間を増やすという2種類の動機が混じっています。確かにビジネスマンを乗せたり、深夜に自宅へ送る場合、顧客が早く着きたいと考えるのはもっともなことですが、病院へ行こうとしているお年寄りや障害のある顧客は必ずしもそうは考えません。右へ左へと身体を揺さぶられ、信号で止まるたびに手すりを掴まなければならない乗り物に乗ってまで、早く着きたいとは思わないのです。お年寄りの中には背中が曲がっている人もいるでしょう。そういう人は背もたれに寄り掛かれません。足が不自由なら足で踏ん張ることは出来ないのです。車いすごと乗る乗客は、重心位置が高くなりますので、シートに座るよりも大きな力が身体にかかります。お客がどんな人なのか?どんなニーズをもって乗ってきたのか?急ぎたいのか?ゆっくり走って欲しいのか?顧客のニーズは多様であることを考えることが、新たな顧客を手に入れる方法の一つと思います。

③時間を無駄に使う

歩いて1時間かかる場所へタクシーなら10分で行けるなら、50分もの時間を節約することができる。そう考えるのは現代人特有です。50分という新たな時間を手に出来れば色々なことが出来て合理的です。しかし、お年寄りは必ずしもそう考える人ばかりではありません。もし10分間のタクシー乗車が楽しくなく苦痛であったなら、50分を得したと考えず10分損をしたと考えるかも知れません。嫌な気持ちを抱くくらいなら歩いた方がましだ。と考えるのは以外と自然の気持ちなのです。なぜなら私たち日本人はかつては誰でもそう考えていたからです。移動、つまり、目的地へ到達するための手段と現代人は考えますが、例えば江戸時代はそう考える人は余りいなかったと言われています。移動を手段とは考えず、移動そのものも目的の一部と考えていたと言われています。だからこそ、東海道53次など、移動を単なる手段としてではなく、目的の一部と考えからこそ生まれた芸術なのです。

現代人は移動を単なる手段、つまり目的地へ到達するためのプロセスであって、出来るだけ速くてっとり早く済ませるものと考えていますが、本来移動とは手段ではなく目的の一部なのです。この現代人が忘れた価値を提供できるのは自動車、特にタクシーが与えられる貴重な価値なのです。繰り返しになりますが、高齢者は移動を単なる手段と考えていないかも知れません。いかに移動を手段から目的の一部へと転換できるか?自動運転タクシーやライドシェアとの差別化という観点からも重要な問いかけだと思います。

母親がタクシーを使わずにわざわざ遠方で暮らす息子に送迎を頼んでくる。良くある話ですが、それはきっと移動という手段を求めているわけでなく、息子と会うという目的を果たすための行動なのではないでしょうか?

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タクシーの利用者数は少子化や経済状況等の影響を受けて右肩下がりが続いており、ドライバー不足が拍車をかけることで、タクシー事業者のお尻には火がついて慌てている。これが現在のタクシー業界ではないかと思います。

そこに突如現れたのがライドシェアです。ウーバーなどの米国企業が有名ですが、一般ドライバーが行うタクシー事業という、タクシー業界にとっては新たな競争相手が現れました。

私は個人的にライドシェアという制度は遠からずこの国に導入されるだろうと考えています。何よりもウーバーは米国企業なのですから。それに多くの国民がライドシェアを利用すると思います。ウーバーイーツが受け入れられるのと同じように、特に若者や都市生活者はライドシェアに抵抗はありません。

まだ、導入の是非についての議論のさなかですので性急ですが、もし、ライドシェアの料金体系が、既存のタクシーより安いとなれば、タクシーは絶滅の危機を迎えるでしょう。必ずしも運賃の高低ではなく、ポイント付与などによって料金の差別化は可能でしょう。

ではタクシー会社はお手上げなのか?私はそうではないと思うし、変革次第だと考えます。

では、ここで私が考える変革のヒントをいくつかお伝えしましょう。

①タクシーとは何なのか?タクシーの目的を思い出せ。

タクシーの目的は公共交通機関としての役割を果たすことです。もちろん事業者は私企業ですからそのほかにも色々の目的があるとは思います。例えば大儲けするとか。しかし、最も最重要な事業の目的は、公共交通機関の役割を果たすことに他なりません。タクシーの歴史について私は詳しくありませんが、多分、この国で最初にタクシー事業を始めた会社の社長さんは、創業に際して公益という壮大な目的を掲げていたに違いありません。それが、時を経て、社長の代が変わり、事業の高度化や組織の複雑化という一種の改良を重ねるうちに、当初の目的を忘れてしまったのです。タクシー事業を、何らかの目的を達成するための社会的道具と考えた時、道具が高度化し複雑さが増すのと同時に、当初の目的から離れていき、なおかつ、当初の目的の達成に伴う便益を上回る不利益を生み出す。これは自明なことなのです。

②なぜ便利な乗り物なのに乗りたくない人がいるのか?

これは前述の3つのテーマに関わる問題です。折角あるのに乗らない。乗りたくない。乗りたいのに乗れない。そういう隠れたニーズを掘り起こすための啓発と信頼回復は急務です。

③ハードウェア(道具)だけじゃ足りない。

近年ジャパンタクシーなど車いすごと乗車できるようなタクシーが普及してきましたが、私見ですが多分宝の持ち腐れです。結局、道具だけあってもそれを扱う人間、つまりドライバーの質が問われているのです。ジャパンタクシーでなくても、ドライバーの心持さえあれば、十分高齢者や障害者に満足してもらえるでしょう。

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今やらなければライドシェアに食いつぶされる

タクシーが絶滅するとは思いませんが、その多くが無くなるでしょう。タクシーもライドシェアも現状ならそう違いはないからです。

タクシーは2種免許が必要ですが、だからと言って2種免許ドライバーの方が1種免許保有者より安全なのかと問われて明解に答えが出るとは思いません。事業用自動車の事故は現在でも大きな社会問題なのです。また、2種免許保有者の方がお客に配慮して優しいかと言われれば、これも首をひねってしまうでしょう。ウーバーイーツの配達員は、みな笑顔で優しくお客へ対応してくれます。しかし、ライドシェアとタクシー事業には決定的な違いがあります。それはタクシーは公共交通機関であるということです。もう一度それを思い出して欲しいと思います。

 

最後に

ライドシェアでなくても、現在様々なな場面で一種免許保有者が一般客を送迎している現実が既に存在し、社会は必ずしも2種免許を重要視していません。有償福祉輸送やデイサービスや病院などの送迎です。しかしこれらの送迎の事故もまた大きな社会問題になっています・これらの事業は本来タクシー事業者が担うべき分野だと思います。公共交通という当初の本来的な目的、そして「公共」とは何なのか?を今一度思い出してほしいと考えています。

 

 

2023年11月07日